2008年03月05日
ヴォーリズ建築展~番外編④~
一粒の会の方とははじめて挨拶させていただきまして、特に理事のI建築事務所のIさん(偶然でしたが講演では隣席)は以前中小企業家同友会で政策委員会におられたそうで、滋賀文化短期大学、京都橘大学などで非常勤講師もつとめられておられ、現在もいろいろな方面から地域の活性化に尽力されておられるようです。
お話を伺うとヴォーリズは幼少の頃は相当病弱だったそうなのですが、そのために家族でカンザス州のレブンワースからアリゾナ州のフラッグスタッフ(最近はマラソン選手がトレーニングする場所として有名ですが)に引っ越してから本当に元気になることができたといいます。このことが生活環境の大切さを実感して、いつか自分もその場所づくりをしたいということを志すきっかけになったのかも知れませんね。
ヴォーリズ研究をしておられる大阪芸術大学の山形先生には大勢の方が取り巻いておられまして、でもなんとか近くを歩きながら少しだけお話を拝聴しながら3回目の見学をさせてもらいました。
近くに近江兄弟社学園の職員(教員)の方がいらっしゃいまして、満喜子夫人は神戸女学院を卒業してからアメリカに留学で8年間も住んでいたというますから、ヴォーリズと結婚しなければおそらく日本には帰ってこなかっただろうとか、実はヴォーリズが日本に帰化するまでの間の22年間入籍してなかったなどと言う話も飛び出しました。
というわけで2日間にわたりW・M・ヴォーリズ展を堪能いたしました。もう満腹。(笑)(デューク)
お話を伺うとヴォーリズは幼少の頃は相当病弱だったそうなのですが、そのために家族でカンザス州のレブンワースからアリゾナ州のフラッグスタッフ(最近はマラソン選手がトレーニングする場所として有名ですが)に引っ越してから本当に元気になることができたといいます。このことが生活環境の大切さを実感して、いつか自分もその場所づくりをしたいということを志すきっかけになったのかも知れませんね。
ヴォーリズ研究をしておられる大阪芸術大学の山形先生には大勢の方が取り巻いておられまして、でもなんとか近くを歩きながら少しだけお話を拝聴しながら3回目の見学をさせてもらいました。
近くに近江兄弟社学園の職員(教員)の方がいらっしゃいまして、満喜子夫人は神戸女学院を卒業してからアメリカに留学で8年間も住んでいたというますから、ヴォーリズと結婚しなければおそらく日本には帰ってこなかっただろうとか、実はヴォーリズが日本に帰化するまでの間の22年間入籍してなかったなどと言う話も飛び出しました。
というわけで2日間にわたりW・M・ヴォーリズ展を堪能いたしました。もう満腹。(笑)(デューク)
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2008年03月05日
ヴォーリズ建築展~番外編③~
「間」という表現の前に「ルビンの壺」のところでは「図」と「地」という表現がされていて、建物=「図」とそれ以外の空間=「地」という考えの中で、実は建物のない空間である「地」を生かすということでは神戸女学院の場合も関西学院大学の場合も中央の大きな広場が印象的なのですが、そこから離れた場所にある建物の前にもちょっとした広場がたくさん作られています。その広場というのが住宅設計の時の居間にあたるのではないか、つまり「学園建築においての広場はリビング」という話でした。
先日の見学会でも「九尺二間」のヴォーリズ山荘のところでハウスとホームの説明でもありましたが、ヴォーリズは以下の事を語っています。
「台所と寝室があれば家(ハウス)です。けれども、家とホームは違います。居間ができて初めてホームの資格になる。」
「住宅の美的思想は、主として居間に於いて現れる。」
台所と寝室の「ハウス」は「生きる」「暮らしを守る」場所、「ホーム」はそれにリビングを加えることで家族とのコミュニケーションを通じて「人間らしく生きる」空間も含まれた場所だということでしょうか。
ヴォーリズ建築設計事務所の逸話についてはこのようなことも。
大同生命ビルの設計で米国人設計技師が全体のデザインを受け持っていたのですが、それにヴォーリズが納得しなかったため日本人で最も信頼していた佐藤久勝にヴォーリズが再デザインを依頼し、別の有能なドラフトマン(彼自身もデザインを手掛ける力量が十分ある)がこれを製図したらしいのですが、それらが本当に自然に何のいさかいも起こらず進行したといいます。
前にも書いたように場を和ませる生来のヴォーリズ自身の人柄もありますが、そこに辿り着くために社内ではヴォーリズも含め全員が「さん」付けで呼び合うということなど文字通り「兄弟」として徹底して全ての社員が平等であるということによって、よりいっそう社員がヴォーリズに対して全幅の信頼を置くことへと繋がったのだと思います。
最終的には人生を終えた後も「恒春園」(近江兄弟社霊園)で自分の家族や社員・社友たち(ヴォーリズさんにとっては家族と同じ)と一緒に眠っていらっしゃることでも明らかですね。(ここは私のおまけ)(デューク)
先日の見学会でも「九尺二間」のヴォーリズ山荘のところでハウスとホームの説明でもありましたが、ヴォーリズは以下の事を語っています。
「台所と寝室があれば家(ハウス)です。けれども、家とホームは違います。居間ができて初めてホームの資格になる。」
「住宅の美的思想は、主として居間に於いて現れる。」
台所と寝室の「ハウス」は「生きる」「暮らしを守る」場所、「ホーム」はそれにリビングを加えることで家族とのコミュニケーションを通じて「人間らしく生きる」空間も含まれた場所だということでしょうか。
ヴォーリズ建築設計事務所の逸話についてはこのようなことも。
大同生命ビルの設計で米国人設計技師が全体のデザインを受け持っていたのですが、それにヴォーリズが納得しなかったため日本人で最も信頼していた佐藤久勝にヴォーリズが再デザインを依頼し、別の有能なドラフトマン(彼自身もデザインを手掛ける力量が十分ある)がこれを製図したらしいのですが、それらが本当に自然に何のいさかいも起こらず進行したといいます。
前にも書いたように場を和ませる生来のヴォーリズ自身の人柄もありますが、そこに辿り着くために社内ではヴォーリズも含め全員が「さん」付けで呼び合うということなど文字通り「兄弟」として徹底して全ての社員が平等であるということによって、よりいっそう社員がヴォーリズに対して全幅の信頼を置くことへと繋がったのだと思います。
最終的には人生を終えた後も「恒春園」(近江兄弟社霊園)で自分の家族や社員・社友たち(ヴォーリズさんにとっては家族と同じ)と一緒に眠っていらっしゃることでも明らかですね。(ここは私のおまけ)(デューク)
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2008年03月05日
ヴォーリズ建築展~番外編②~
そして元ヴォーリズ設計事務所所長の石田氏の講演は、先輩方から聴いたヴォーリズが現役だったころの事務所の話もあり、とても興味あるものでした。
ヴォーリズと言う人は素人建築家としてその徹底的にクライアント側つまり生活者の視点と、当時のアメリカから最先端の技術者を呼び寄せ日本の技術者ととも共働させたところが特徴だと言われているようですが、生活者側(使用者側)の視点を持つことこそ本来プロフェッショナルとしては当たり前なのであり、建築家が自分の感性や技術優先で発想したものを押しつけてしまうことこそプロフェッショナルと言えないのではないかと述べられました。
ヴォーリズは先日お話したとおり、平面図やアイデアスケッチなどを描いてそれを大勢のスタッフがまとめて形にしていくというような仕事をしており、驚いたのはこの岡田山キャンパスの最初のグランドデザインをヴォーリズが描いていて、その設計思想がそのまま反映されながらもさらに洗練され見事な学園の姿となっておりました。
仕事に取り掛かる時から頭の中には誰よりも全体像が見えていたのではないでしょうか?つまりヴォーリズは映画監督でありオーケストラの指揮者なのでしょう。
またよく見かけるだまし絵の「ルビンの壺」を映して、壺を見るのではなくその外側の空間を見ることが大切なのであり、この建築群では広場であったり建物の立っていない部分というのを最大限に生かされていて、この「間」の取り方こそ、あの広大な建築群をとても心地よいものにしているのではないかとのことでした。
そして校舎の窓ガラスの長方形の辺の長さが黄金比(1:1.618)である黄金矩形であることも今回の講演にあわせて検証されたそうですが、非常に細かなところまで心配りがされた建物だったようです。
それからヴォーリズ設計事務所の先輩から聴かれた面白いエピソードとしては、設計中のピリピリした状態の中でヴォーリズが賛美歌の口笛を吹くと、誰かがそれに口笛でハモって、それからとても和やかな雰囲気になったといいます。ヴォーリズにとっては働く職場も、理想の居場所とならなければならなかったのではないかと思います。(デューク)
ヴォーリズと言う人は素人建築家としてその徹底的にクライアント側つまり生活者の視点と、当時のアメリカから最先端の技術者を呼び寄せ日本の技術者ととも共働させたところが特徴だと言われているようですが、生活者側(使用者側)の視点を持つことこそ本来プロフェッショナルとしては当たり前なのであり、建築家が自分の感性や技術優先で発想したものを押しつけてしまうことこそプロフェッショナルと言えないのではないかと述べられました。
ヴォーリズは先日お話したとおり、平面図やアイデアスケッチなどを描いてそれを大勢のスタッフがまとめて形にしていくというような仕事をしており、驚いたのはこの岡田山キャンパスの最初のグランドデザインをヴォーリズが描いていて、その設計思想がそのまま反映されながらもさらに洗練され見事な学園の姿となっておりました。
仕事に取り掛かる時から頭の中には誰よりも全体像が見えていたのではないでしょうか?つまりヴォーリズは映画監督でありオーケストラの指揮者なのでしょう。
またよく見かけるだまし絵の「ルビンの壺」を映して、壺を見るのではなくその外側の空間を見ることが大切なのであり、この建築群では広場であったり建物の立っていない部分というのを最大限に生かされていて、この「間」の取り方こそ、あの広大な建築群をとても心地よいものにしているのではないかとのことでした。
そして校舎の窓ガラスの長方形の辺の長さが黄金比(1:1.618)である黄金矩形であることも今回の講演にあわせて検証されたそうですが、非常に細かなところまで心配りがされた建物だったようです。
それからヴォーリズ設計事務所の先輩から聴かれた面白いエピソードとしては、設計中のピリピリした状態の中でヴォーリズが賛美歌の口笛を吹くと、誰かがそれに口笛でハモって、それからとても和やかな雰囲気になったといいます。ヴォーリズにとっては働く職場も、理想の居場所とならなければならなかったのではないかと思います。(デューク)
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2008年03月05日
ヴォーリズ建築展~番外編①~
近代美術館の講堂で3月2日行われました特別講演会「窓からの眺め」神戸女学院キャンパスに見るヴォーリズの美学]にまたまた出かけていくことになりました。
主催の美術館側はこういった建築に関するもので作者本人(もちろんいらっしゃいませんが)ではない講演なので少人数になるだろうと想像されていたようですが、蓋を開けてみれば200名入れる講堂は立ち見まででる状態で、あわてて主催者側がパイプ椅子を出したのですが、不足していたために席の前にカーペットの上に直に座ってもらうくらいで大変盛況で250名をくらいになったのではないでしょうか。
このあたり滋賀で開催されたということもありますが、いかに一般の方もヴォーリズに対して関心があるかを知らされました。
まず神戸女学院大学文学部教授の濵下正弘教授の講演を聴講したのですが、とてもハイソ(ハイソサエティ)な雰囲気のOGらしき女性(しかも学生から上品なマダムまでかなり年齢層の厚い)が多く来られてまして、講演後には花束まで渡されるのには驚きました。
現役の神戸女学院の学生さんから、杖をついて入って来られたかなり高齢(失礼)のご婦人まで、もちろん建築設計関係者らしき方々も大勢いらっしゃるようなんですが、若いカップルやファミリー(途中で小さな子供の声も聞こえる)など一般の方もいらっしゃったと思います。
美学が専門の濵下教授のテーマは、岡田山キャンパスの建築群の様々な形の窓を通して、室内から建築と自然が調和した外の景色を感じるというもので、たくさんのスライド写真を通してそこが日本とは信じられない美しい世界を堪能いたしました。(デューク)
主催の美術館側はこういった建築に関するもので作者本人(もちろんいらっしゃいませんが)ではない講演なので少人数になるだろうと想像されていたようですが、蓋を開けてみれば200名入れる講堂は立ち見まででる状態で、あわてて主催者側がパイプ椅子を出したのですが、不足していたために席の前にカーペットの上に直に座ってもらうくらいで大変盛況で250名をくらいになったのではないでしょうか。
このあたり滋賀で開催されたということもありますが、いかに一般の方もヴォーリズに対して関心があるかを知らされました。
まず神戸女学院大学文学部教授の濵下正弘教授の講演を聴講したのですが、とてもハイソ(ハイソサエティ)な雰囲気のOGらしき女性(しかも学生から上品なマダムまでかなり年齢層の厚い)が多く来られてまして、講演後には花束まで渡されるのには驚きました。
現役の神戸女学院の学生さんから、杖をついて入って来られたかなり高齢(失礼)のご婦人まで、もちろん建築設計関係者らしき方々も大勢いらっしゃるようなんですが、若いカップルやファミリー(途中で小さな子供の声も聞こえる)など一般の方もいらっしゃったと思います。
美学が専門の濵下教授のテーマは、岡田山キャンパスの建築群の様々な形の窓を通して、室内から建築と自然が調和した外の景色を感じるというもので、たくさんのスライド写真を通してそこが日本とは信じられない美しい世界を堪能いたしました。(デューク)
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