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Posted by 滋賀咲くブログ at

2008年06月30日

ひずみガラスの向こうの古き良き日本③

窓ガラスは、風雨から室内を守り、余分な音や虫をさえぎります。
それでいて光は通し,快適な室内空間を作ってくれます。
つまり、ガラスは間違いなく存在するのであり、ガラスの前に立つ私は、決して自然そのものと触れ合っている訳ではありません。
現代のガラスは徹底的に自らの存在を消し去り、心地よさだけを提供します。
ガラスがあることに気がつかず、衝突して怪我をする、場合によっては死にいたる事故があることをどこかで聞いたことがあります。
そして、私達はガラスのありがたさや、存在を何時か忘れてしまいます。
それどころかガラスを通した自然を、優しいだけの自然を、自然そのものだと勘違いしてしまいます。
「自然」も実は、激しく厳しく、居心地の悪い面を持っています。
壁やガラスによって守られているからこそ、私達は自然の中で快適に暮らすことが出来るのです。
「活機園」に残された、ひずんだ窓ガラスは、私達と自然(外界)との関係のありようを、常に意識させてくれるものだと思います。
「本物」を求めると言うことは、私達の心の中に気付かないままに張り巡らされた、あるとは気付かない「ガラス窓」を開け放ち、物事の本質に迫ることなのではないでしょうか?
伊庭貞剛翁の残した「活機園」はそんなことも考えさせてくれる、深さを持ったものでした。(M)
  


Posted by ほんもの探検隊 at 21:50 Comments( 0 )

2008年06月30日

ひずみガラスの向こうの古き良き日本②

「活機園」内部は、文化財保護のため写真撮影禁止となっていますので、絵がお見せできないのが残念です。(こちらで内部の映像を見ることが出来ます。)http://www.sumitomo.gr.jp/related/kakkien/ipix/index.html

玄関には杉でできた、人の背丈ほどもある傘立て兼外套掛け兼姿見が置かれてあり、とても使い勝手がよさそうでした。
玄関から右手が「洋館」。
ダイニングには、食事サービス用の小窓があり、来客との食事の時、頻繁な出入りで会話をとぎらせない配慮など細かな工夫が随所に見られます。
隣接する書斎のバランスウエイトを用いた、引き上げ窓(軽く上げ下げ出来、任意の場所で止まります)、上部の通気窓にも開閉用のアームが付設されています。
「洋館」は2階も含めて天井まで3m以上あり、広々とした空間が好ましいものです。
ドアや階段手すりも華美な飾りや塗装をせず、自然を生かした「清楚」な仕上げとなっており伊庭翁の想いを感じることが出来ました。
今は付近の景色はすっかり変わってしまいましたが、建設当時は洋館2階からは瀬田川、近江富士、唐橋などが遠望でき、素晴らしい眺めだったと思います。
残されている写真を見ると当時の瀬田川はS字型にくねった大河だったようで、風景に一層の赴きがあったと思われます。
この「洋館」の窓ガラスはほとんどが建設当時(明治初期)のものが残っています。
当時は板ガラス製造技術が未熟で、微妙なひずみがあります。
しかし、その微妙なひずみ越しに見える風景も味わい深いものだと感じました。
単なるノスタルジーではなく、それを通して見ていることを明確に感じさせるガラスは、現代の、その存在すら忘れさせてしまうガラスと比べて見て、どちらがよいのか考えさせてくれます。(続く・M)
  


Posted by ほんもの探検隊 at 10:13 Comments( 0 )

2008年06月30日

ひずみガラスの向こうの古き良き日本①

いにしえの建築物「探検」が続きます。
大津市石山寺付近にある伊庭貞剛旧居「活機園」(重要文化財)を見学させていただきました。
広大な庭園に、(創建当時は1万5000坪だったそうですが、今は1/7程度に・・)「清楚」(当時の財閥の領主の住居としては)、かつ気高くそびえる「洋館」と、こちらも、ある意味「活機園」のもう一つの主役と言える自然な庭と一体となった「和館」で至福のひと時をすごさせていただきました。
後年、敷地内を東海道新幹線と名神高速道路が通ることに成り、ずいぶんと趣は変わってしまったようですが、それでも石段を登り、山門をくぐり、うっそうとした林間の小道をたどった先に現れる、緑の芝生のやや傾斜した上にそびえる「洋館」(野口孫市設計・施工)は、主・伊庭貞剛その人を思わせるたたずまいです。
「洋館」の外壁を形成するウロコ状の板張り(木製)、2階バルコニーの卍崩しの装飾、寺社建築に見られる雲型の構造など特徴的な建物のほとんどが建築当時のままに保存されています。
阪神大震災や、台風(このために庭園の大木も倒壊しました)の被害にもびくともせず、明治初期の日本の建築技術の確かさを証明しています。   


Posted by ほんもの探検隊 at 08:07 Comments( 0 )

2008年06月22日

『W・M・ヴォーリズ、ダブルハウスを訪ねて・・・』③

リビングから漆喰のアーチをくぐると、若葉のみどりを明るく歪めて映しているサンルームの硝子もあの時のまま、クリスタルのドアノブもあのときのまま 曇りひとつなく輝いていた ・・・90年と聞く時間の経過を、にわかには理解しがたい「新鮮なデザイン力」である。 
一口に「100年住宅」を目指すという、さらに 今や、政府の政策にも「200年住宅」と謳われ始めたが、果たして丈夫なだけで200年という年月を凌げるだろうか・・・・

物理的な耐力だけでなく、むしろ傾いてもなお愛され続けるほどいとおしい「確かなデザイン力」が必要だと、改めて気づかされた思いがする再会であった。 
いや、必要なのはやはり あの「慈愛に満ちた温かいまなざし」なのかもしれない・・・

                                東西 見聞
  


Posted by ほんもの探検隊 at 11:13 Comments( 2 )

2008年06月22日

『W・M・ヴォーリズ、ダブルハウスを訪ねて・・・』②

さて、回想が長くなり過ぎたが・・・、

今回は、たいへん若々しいご夫婦が 見ず知らずの私たち(島田家具さんの紹介というだけで、しかも紹介者不在・・・)を迎えてくださった。 たいへん気の毒な・・、いや奇特なことである。 
はたして・・・、
10年以上の時を隔てて再会したダブルハウスは、特別には手を入れず、痛んだ漆喰の壁を落としてエマルジョンペイントを塗っただけだというが、すでに90年を数えるというにもかかわらず、若々しく実に見事に蘇っていた。 

殊に、合わせ方によれば あるいは重くなりすぎるかもしれない「90年のオールド建築」の歴史に対して、清潔な軽やかさを加えた島田家具工芸(!)の「シェーカー家具」の見立ては絶妙であった。 
新調であるはずの柿渋で染めたのであろう居間のソファカバーも、ずーっとそのままそこに在ったように 柔らかく馴染んでいて、空間をやさしく演出していた。 
・・・まさに奇跡である!!

美味しいお茶とお菓子をいただきながら、ダブルハウスと若い宗教家の不思議な馴れ初め(?)をお聞きした。 また再び、ヴォーリズさん~そして先代オーナーKさんと受け継がれて来た、なにものに対してもの「慈愛に満ちた温かいまなざし」の歴史が、新たに積み重ねられていくのであろうと思うと、たいへん喜ばしいことである。 
と同時に、建築がその街に対して、外的な「景観」に供するだけでなく、そこに住まう住み手の内面にまで豊かな影響を与え続けるという事実を目の当たりにして、同じ建築に関わる者として、改めて、街の「精神文化」にも多大な責任を感じる思いである。
(東西見聞)   


Posted by ほんもの探検隊 at 11:11 Comments( 2 )

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